モラル。
2001/08/19


 電車やバスの中で化粧をする女性がいる。
 「誰にも迷惑かけてないじゃん。」と言うのが彼女たちの言い分らしい。「女性として恥かしくないのか。」と言うのが反対する者の言い分である。

 どちらもピントがずれている。

 まず、「恥ずかしくないのか」と叱る人にモノ申す。

 恥と言うのは、個人的感覚の問題で、当人が恥かしくなければ恥かしくないのである。それを「恥かしいだろう。」「恥かしいはずだ。」と責め立てるのは、いわば、いたいけで無抵抗な後輩たちを、つまらないギャグで、無理矢理笑わせている先輩と同じだ。「な、面白いだろ、面白いだろ。」といわれても、面白くないものは面白くない。後輩は仕方なく笑っているだけなのだ。

 「恥」で叱るのは、つまり「自分は恥かしくて出来ない。」という自分の価値観の押し付けである。ひょっとしたら、自分には出来ないことが出来る者への、幾ばくかの憧れの念も含まれているかもしれない。

 女性諸君、そういう価値観の押し付けしか出来ない偽善者の言う事は聞かなくてよい。

 そして、電車で化粧する女性にモノ申す。

 オレは電車の中で化粧をする女は嫌いだ。大嫌いだ。
 何故かというと。

 「見たくないのだ。」

 世の中には、公衆の面前でうんこすることを快感としている人種がいる。彼らにとって、うんこをすることは、見られて恥かしいことではなく、見られると気持ちいいものなのだ。だが、オレはそんなもの見たくないし、見せて欲しくない。

 つまり、そういうことだ。

 オレなんか、電車の中でオーソレミーヨを歌ったって恥ずかしくない。都都逸(どどいつ)だってできる。ヴェルディの椿姫の一節を歌いながら、電車の乗客と喜びを分かち合いたい夜もある。

 何故それをしないかと言うと、電車に乗り合わせた人は、オレのオーソレミーヨを聞かせて欲しくないだろうからだ。
 モラルとはこういうものだ。

 今度、見たくないものを見せられた時は、
 「魔王」を歌ってやる。覚悟しておけ。
 

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