今は昔、竹取の翁と言ふものありけり。
かぐや姫で有名な竹取物語の冒頭だ。
こんな風に、昔の文章の中には、「言う」を「言ふ」と表記あるものが多々ある。これは、文字に対する読みが確立する前の表記法で、「言ふ」と書いてあっても「言う」と読むのが正しいのだと、学校の授業では教えられた。
しかし、調べてみると、日本の古語では「言ふ」の部分はそのまま「言ふ」もしくは「言ぷ」と発音していたらしいのだ。これは日本語のルーツの一つである韓国語で、口を「イッ(プ)」と言うことと関係しているらしい。
現代に至るまでに言葉が訛り、いつの間にか「言う」になってしまった。語感としては「言ぷ」の方が趣や味があって良かったのに。うーん、残念。
ところで「言ぷ」の活用形はどうしたらいいのかな。
「言った」は「言っぱ」かな。
「言わない」は「言ぱない」。
「言います」は「言ぴます」。
「愛してるって言って」は、「愛してるって言っぺ」か。
こんな言葉を使っていたら、何だか他の言葉にも「ペ」とか「ぱ」が混じってしまいそうだ。
「ぽう、ぴないって、言っぱぴゃない。」
(もうしないって、言ったじゃない。)
「ぱんだと、ぽうぴっぺん言っぺぴろ。」
(何だと、もういっぺん言ってみろ。)
「ぴ、ぴぱく。」
(子曰く。)
「判決を言ぴぱたぴまぷ。」
(判決を言い渡します。)
うははは。緊張感ゼロ。頭悪そうだな。でも、何だか能天気で平和的で楽しそう。もし日本語が、こんな風に、パフパプ、ピプピプだったら、日本の民族性や文化も全然違ったものになっていただろう。もっと明るくて、もっと陽気で、ラテン系の日本人になっていたはずだ。
それに、こんな言葉だったら、普段恥ずかしくて言えないようなことも、言えそうな気がする。
「おい、ぱいぴぺぷぽ。」
(おい、愛してるぞ。)
「えっ何?、おっぱいがどうしたって?」
恥ずかしくはないが、残念ながら意味も通じない。
日本語は奥が深いですな。
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